毎月恒例の高木クリーンデーにVS隊スカウト2名が奉仕参加しました。
水路掃除に勤しみましたが、どうですか⁉️このBefor After👍✨
ボーイスカウト日本連盟ホームぺージ「ベンチャースカウト活動のすすめ」からの引用です。
奉仕の精神の根本にあることは、他の人々の役に立つことである。君も経験したことがあるだろう。誰か身近な人が困っている時に手を貸してあげたとき、助けた人から「ありがとう」と言われたことが。そのとき、君は感じたことだろう。人の役に立ったときのなんともいえない幸福感を。「ありがとう」と言われてうれしく感じたことだろう。人からお礼を言われて嫌な気持ちになる人はいないはずである。
人の役に立つということは、広い意味で社会の役に立つことだ。社会の役に立つこととは、単に奉仕をするだけでなく、社会に参画して社会の一員として貢献し必要とされるということである。このように、社会の役に立つということは、この人間の社会で生活するうえで、とても重要なことである。だからこそ、奉仕の精神を持っていることがとても大切になる。奉仕の精神とは、とにかく無理をしてボランティアに参加するといった意味合いのものではなく、人に役に立ち、社会の役に立ちたいと思う心なのである。そして、その実現の形は君が社会に出たのであれば職業を通して地域社会の一員としてよき公民として過ごすことで自然と体現できるようになるのである。
人の役に立つといっても特別なことをしなければならないないわけではない。身近で簡単なことで良い。例えば、歩いていて前を歩く人がハンカチを落としたとする。それを拾って落とした人に返すだけでも立派に人の役に立つということである。そういった身近に起こる出来事でも人の役に立ちたいと思っていれば数多く人の役に立つ機会に出会うことができるだろう。ここが大切なことである。人の役に立たないといけないのではなく、「君が人の役に立ちたいと思うこと」こう思えることが奉仕の精神につながるのである。人の役に立ちたいと思えるには、多く人の役に立った経験を持つことが一番の道である。それは、人の役に立った数だけ「ありがとう」と言われた経験を持てるからである。お礼の数だけ君の幸福感が増していくのである。ベーデン-パウエルが「最後のメッセージ」の中で幸福感についてこう書いている。ベーデン-パウエルの言って「幸福を得るほんとうの道は、他の人を幸福にすることにある。」いることは、人の役に立つことは決してその人のためだけではないということである。人の役に立つ自分自身も同時に幸福感を得るということなのである。
これは、自分のことだけを中心に自分だけが良ければよいと考える利己的な考え方ではなく、いつも人の役に立つことを考え自分のことよりも他の人々のためを思う利他的な考え方をするということである。この利他心こそ幸福に生きる道に通じるものなのである。利己主義がなぜ悪いのかと言えば、いくら利己を追及しても満足することはないということである。いくら自分が都合よくなるように動いても、もっともっとと欲求は深まるばかりである。最初は満足していてもすぐにそれが当たり前になり、もっとうまくいくことを望む、人の欲求はとどまるところを知らないのである。さらに、厄介なことにうまくいかなかったときに利己主義者はその責任を他の人々や要因にその責任を負わす傾向がある。これでは、決して心の平和は訪れることはないだろう。利他心とは、そんな自己中心的な欲求から解放されるということである。他の人の役に立つことで損をしたという考えを持たないのである。役に立つこと自体に喜びを感じるのである。そうすれば、精神的にも満たされるだけでなく、おそらく経済的にも満たされることが多くなる傾向になる。
人間とは、社会生活を営む動物である。人と関わることではじめて生活を営むことができるのである。人の役に立つということは、広い意味で社会の役に立つことだ。社会の役に立つこととは、単に奉仕をするだけでなく、社会に参画して社会の一員として貢献し必要とされるということである。君も近い将来に何らかの職業に就くことになるだろう。この職業とは、自分ではできないことを代わりに誰かにやってもらうことで社会生活を分担していくことである。その対価として報酬をもらい、その報酬によって生活を営むことになる。報酬とは「ありがとう」なのである。また、その報酬の中から税金という形で国に納めることで社会が円滑に進むようなインフラなどの公共性の高い事業が提供されるのである。これも社会の役に立つことであり社会の一員として職業を通して社会に奉仕するということになる。このように、社会の役に立つということは、この人間の社会で生活するうえで、とても重要なことである。だからこそ、奉仕の精神を持っていることがとても大切になる。奉仕の精神とは、とにかく無理をしてボランティアに参加するといった意味合いのものではなく、人に役に立ち、社会の役に立ちたいと思う心なのである。そして、その実現の形は君が社会に出たのであれば職業を通して地域社会の一員としてよき公民として過ごすことで自然と体現できるようになるのである。人の役に立ちたいと思い、社会の役に立つために働くことで仕事に対する重みも変わってくる。そうなると、その仕事は自分のやりたいことから、自分のやらなければならないことになり、やがて使命となる。ここに、やりがいや誇りを持ち、人生が充実していき大きな幸福感につながるのである。それは、これをすれば儲けられるとかということから始まるのではなく、これをすれば他の人々に喜んでもらえるといった奉仕の精神から生まれるものなのである。ベーデン-パウエルが「最後のメッセージ」の中で「この世の中を、君が受け継いだ時よりも、少しでもよくしてあとに残すように努力したなら、死ぬ時がきても、とにかく自分の一生をむだにしないで最善をつくしたのだという満足感で、幸福に人生を送り幸福に死ぬことができる。」と言っている。このことは、君が社会の役に立つことを心から望んで進んで社会に貢献できるようになれば必ず体現できることなのである。幸福に生きていくために奉仕の精神を身につけるのである。奉仕とはしないといけないからするのではなく、社会に貢献したいという自分の願望から行うものなのである。
人の役に立ち、社会の役に立つことができれば、自然にその存在が社会にとって必要とされるようになる。これは、社会から認められるということである。このことは非常に重要なことである。認められ必要とされることほど人間としてやりがいを感じて充実した気持ちになることはない。人は誰かから必要とされ社会から認められることによって大きな喜びを感じるのである。
人から認められることは人間が持っている基本的欲求の中で高い位置にある。衣食住や健康な生活が保障されていても人はそれだけでは満足することはできない。自分という存在を認めてもらうことで自分自身の存在に意味を見いだし、生きがいというものを感じるのである。そして必要とされることで、その使命を全うすることができ、その結果その使命達成に必要な技術や知識を高める原動力になるのである。そうすることでやがて自己実現の段階に達することができるのである。このように、人の役に立つということを身につけることができれば、その行動が結果的に社会の一員として十分に認められ誰からも必要とされる存在になっていくのである。これこそが幸福を得る道筋なのである。では、人の役に立つということが自然にできるようになるには、どうすればよいのだろうか。それは、君たちがスカウトになるときにたてた「ちかい」に沿った行動をすればよいのである。「ちかい」の行動の規範となるのは「おきて」の実践である。常に「おきて」を意識して自分の行動が「おきて」に沿っているかを意識しながら行動を正すのである。最初のうちは意識をしなければ行動できないだろうが、だんだんと「おきて」を意識することなく無意識の内に「おきて」に沿った行動がとれるようになる。これが本当の意味で身につくということである。「おきて」を規範とした行動とは、この章の初めに君たちの先輩スカウトが実際に行動をしたことを載せているが、それぞれの話に多くのヒントがあることだろう。そういうことをまねてみることも一つの方法である。いろいろな行動を知ることは君の知識が増えることになる。知識が増えることで
「おきて」の実践が少しずつ見えてくることだろう。ベーデン-パウエルは「最後のメッセージ」の中でこう締めくくっている。「幸福に人生を送り幸福に死ぬために、この考えで常に備え、いつもスカウトの誓いを守り、大人になってもそれを忘れないことだ。どうぞ君たちにそれができるように、神よ、お守りください。」